観光のレッスン―ツーリズム・リテラシー入門(山口誠・須永和博・鈴木涼太郎著, 新曜社, 2021)

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 観光とはあまりにもこの世にありふれたレジャーとなった。GWやお盆の大型連休の前には全国各地の観光地やレジャースポットの情報がテレビの情報番組に溢れるし、そうでない平日であってもSNSを見れば誰かがどこかに旅に出ている。新型コロナウイルスの蔓延めっきり数を減らしていた外国人観光客も日本に戻ってきたし、日本人の国内観光客も確実に増えている。

 だが、観光するという営為は一種の技能(=art)であり、その技能を磨くことができるという視点をどれだけの観光客が有しているだろうか。本書「観光のレッスン―ツーリズム・リテラシー入門」は観光=ツーリズムという行為の新たな力を提示し、その力を引き出すためのトレーニング手法を提案している。

 そこが自然に溢れる風光明媚な観光地であっても寺社が建ち並ぶ歴史的な街であっても、観光とは「観る」行為の連続である。そして、イギリスの社会学者J.アーリによる「観光のまなざし」の概念では、「観る」という行為は「生得的な能力ではなく、社会的に習得された技能とその思考である(本書p.8)」。すなわち、我々が観光において何かを「観る」とき、その対象のどこを見るか、その対象がどのように我々の目に映るかは個々人の生まれ持ったセンスだけで決まるものではなく、我々が属する社会のなかにおいて育てられつつ個人に獲得される後天的なものであるという。本書は、社会的に形作られる「観る」という技法を作り変える可能性に注目し、よりよく「観る」ための指針を示す。

 本書によれば、「観る」という行為には2つのレベルが重なり合っている。対象を客体として見るということ、そして「対象を見る自分自身を客体化して観察すること」の2つのレベルである。「観る」技法を作り変え深化させるのは、「対象を見る自分自身を観る」という第二のレベルであり、本書を貫くのはこの第二のレベルの重視である。第1章で基本的な概念が平易に述べられたあと、続く2つの章ではそれを実践するための具体的なフィールドや方法が述べられる。

 「観る」を深化させるための実践手法として特に興味深いのが、第2章で述べられている「わたし・ツーリズム」である。これは、例えば卒業した学校の通学路など自分自身に思い入れのある場所を再び訪ねることにより、過去の「わたし」を客体化して観察しようとする試みである。そしてこれは、「対象を見る自分自身を観る」ことの最も実践的なトレーニングとなる。このツーリズムにおいて重要なのは過去の「わたし」から現在の「わたし」への変化を再発見することであり、いわゆる「自分探し=自己のルーツを探す旅」ではない。むしろ変容する自己が辿る過程(ルート)を見つめる観光である。このことは、人類学者J.クリフォードの言葉「ルーツからルートへ」に象徴される。ルーツ=同一性を追い求めすぎることは、排他的で限定された自分に陥る危険性をはらんでおり、観光においてはむしろ変容の可能性を求め開かれた自分を目指すべきなのである。

 「ルーツからルートへ」の視点は、第3章においても、ロシアの代表的なみやげものであるマトリョーシカのルーツが(一説では)箱根にあるという事実を題材に繰り返される。文化は固定された土地だけで育つものではなく、移動の中から生まれるものであり、「みやげもの」としてのマトリョーシカはその一例なのだという。このことは、八方に街道が延びていた京都に学業の拠点を置く私がたびたび感じることである。

 第4章ではそれまでの具体的な例を総括し、こうした「観る」技法の鍛錬の繰り返しが、やがて我々を自由にする、すなわち観光が自由への技法=liberal artsであることが語られる。観光がどのように社会を変革し我々を自由にするのかという点に関しては、やや観念的な記述となっている気がしたが、よりよく「観る」ツーリストが社会的なレベルで増えることは歓迎されることであろう。本書では非常に僅かにしか言及されていないが、ツーリズム・リテラシーは観光者だけでなく観光業および観光地のコミュニティに対しても求められるものである(p.11)。いわゆるオーバーツーリズムなど、観光に伴う社会問題を解決するにはこれら三者のリテラシーを全て必要とするであろうが、続編となる書物があるならこの辺りに対する筆者らの見解が気になるところである。

 また、第5章ではよりよい観光を実現するための視点を与える書物が多く紹介されており、参考文献の多さという意味でも非常に助かるものがある。

 本書を通じてツーリズムを表現し他人に見てもらうことの重要性が説かれており、前述の「わたし・ツーリズム」でも、旅のあとに自分自身の再発見を写真や文章で表現することが推奨されていた。また、第3章ではフォトブックサービスを利用したツーリズムの表現が紹介されている。私自身もこうしてHPに旅行記を書くのは単なる備忘録を超えて本書の勧めによるところが大きい。旅行記を書いている時間はまさに「見る自分自身を観る」時間である。

 旅行は非常に楽しいことであるが、一歩間違えれば現地の人々に迷惑をかけることも起こり得る。また、観光の行われるフィールドは日々広がっており、その分多様な文化との接触も増えるであろう。よりよい観光者となるために、そしてなにより観光をさらに楽しむために、「観る」技法を磨いていきたいと思うようになった。旅を愛する人々にお勧めしたい一冊である。

書誌情報

https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b557375.html