まなざしのデザイン <世界の見方>を変える方法(ハナムラチカヒロ著, NTT出版)

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 以前の読書ログで紹介した「観光のレッスン」を読んだとき、観光学の基礎概念として「まなざし」という言葉が非常に重要な意味を持つことを知ったのであるが、これは観光学に限らず広範な領域で使われる概念らしい。本書ではランドスケープデザインの観点から「風景」と「まなざし」の関係が語られる。そして著者は、アートを用いた「風景異化」を通して我々の凝り固まったまなざしを変化させることを模索する。

 まず、「風景」というものは単に写真の被写体のような客体だけから成立するのではない。それを見る主体のまなざしを伴って、主体-客体のペアにおいて初めて成立するのである。著者はこの点を指摘したうえで、風景という現象を次のように主体-客体と物理-心理の2軸で解剖する。客体の物理的性質は「環境」であり、心理的性質は「記号」である。一方、主体の物理的性質は「知覚」であり、心理的性質は「認知」である。したがって風景を変えるには、これらの4要素の少なくともひとつに変化を加えればよい。例えば、カメラを持って街を歩けば、何気ない景観がカメラという新たな知覚を通して風景となるかもしれない。10年前に訪れた街を再訪すると何か違って見えるのは、環境の変化(街の開発や天気の違いなど)もあるが、認知の変化によるものかもしれない。

 人間のまなざしは凝り固まるものである。最初は真新しかった風景も、何度も見れば脳がパターンとして認識し、それに対する処理を節約しようとする。その結果、その風景を見ているようでちゃんと見ていなくなる。ものの見方、主体の知覚や認知に固定された「枠」ができる。著者は、上述の4要素に変化を加えることで「風景異化」を起こし、この枠を揺さぶる方法を考察するのだ。そしてそこに芸術を応用する。著者が実際に携わったアートプロジェクトの例は、大胆に風景を変えることを画策している。自分にはこういったアートは難しいものと考えていたが、これらの例は非常に興味深く映った。

 著者による、まなざしや風景の解釈はきわめて整然としており、自分自身そこに学ぶことが多かった。「観光のレッスン」との関連で言えば、その著者が提唱する「表現としての観光」という概念にいまいち腑に落ちないところがあったが、これは自らを主体とする風景を他者に開示することであり、それは他者にとっての記号・認知に新たな影響を与えうるのである。誰もがスマホやカメラを手にして大挙して風景を追いかける時代であるからこそ、風景に対する内省的な考察は重要さを増してくるのではないだろうか。

書誌情報

https://www.nttpub.co.jp/search/books/detail/100002432.html