2023年に読んだ本・選

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 はやいことで2023年も1週間を残すだけになった。この記事では、今年読んだ本のなかから特に心に残ったものを選んで取り上げ、去り行く年を振り返る助けとしたいと思う。

 こうした記事を書くのは、SNSでフォローしている諸氏が月ごとに読んだ本の読書ログを各自のブログに公開していることに影響されている。彼らが非常に広範なジャンルの本をたくさん読んでいるのに対して、私の場合ジャンルの偏りもあれば、読むのも遅いので多くの本を紹介できない。しかし、2023年は良い書物に多く出会えた年であったと思う。そのなかには他の人に薦めたいと思えるものもあった。年末をよい機会として、そんな年の読書ログをここに残す。

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観光のレッスン ツーリズム・リテラシー入門(山口誠, 須永和博, 鈴木涼太郎著, 新曜社)

 「観光」を修練を重ねることで上達する技法=artと捉え、「観る」という技能とは何か、それを如何にして深化させるのかを考える本。自分自身、旅を好む者として「良い観光」とは何かということは重要な命題だと考えてきていたわけであり、それはいまも難しい問題であることに変わりないのだが、本書を読んで非常にクリアな視点が得られたと思う。また、著者らは表現としての観光、それを通した自己および他者のまなざしの変容というものをも指向しており、その実践方法がいろいろ紹介されているのが興味深い。本書を読めば、観光という行為がもはや休日の気晴らしというレベルを超えて、人間の生活の文化的領域に深く染み込んでいることが了解されるだろう。

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大学的和歌山ガイド(和歌山大学観光学部 監修, 神田孝治, 大浦由美, 加藤久美編, 昭和堂)

 観光学に関する本のもう1冊として本書を挙げる。和歌山大学観光学部の教員を中心とした執筆陣が和歌山県の各地をそれぞれのまなざしをもって掘り起こす。例えば「紀州の棚田を守り継ぐ」では、近年観光スポットとしても人気のあらぎ島(有田川町)など紀中地域に点在する複数の棚田が紹介される。平野の少ない紀中内陸部において、農業をして命を繋ぐためには、水の確保や農地の確保に多大なる工夫と苦労が必要であった。そして今も、先人の遺した農業技術を後世に残すための努力が和歌山大学の学生と協力する形で行われているという。美しい農業景観には以上のように土地の履歴の厚い堆積があることが語られる。本書を貫くテーマとして、県内の各地が持つ土地の履歴や風土をどのような断面から読み取るか、それを提示することというのがあると思える。和歌山県生まれの私も知らないことが多く、本書で紹介された各地の「断面」はまた改めて和歌山の旅を楽しむためのよすがとなるだろう。

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地図で読み解く奈良 奈良女子大学文学部<まほろば>叢書(浅田晴久編著, かもがわ出版)

 執筆陣は奈良女子大学文学部で地理を専門とする研究者たちであり、地誌学や歴史地理、自然地理など地理学のさまざまな側面から奈良県の各地が語られる。前の「大学的和歌山ガイド」とも似ているが、特に地理学という断面のいろいろを一冊に集めたことに本書の特徴がある。第1章「大和高原」では、奈良市北東部の柳生や田原という地域が地誌学的に分析され、その地域が持つ履歴が総合的に読み解かれる。第6章の「奈良市街」はGISを用いた巡検形式で近鉄奈良駅の付近を紹介しており、読者が真似をすることができるようになっている。私は高校のとき、地理にやや苦手意識があったのだが、本書を読んだ後となっては、むしろずっと地理に興味を寄せてきたのではないかと思えた。本書に示された地理学各分野の多様な視点が、奈良に限らずあらゆる地域を歩くうえで生じる極めて身近な疑問に即していると感じたからだ。

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富士山 信仰と表象の文化史(バイロン・エアハート著, 宮家準監訳, 井上卓哉訳, 慶応義塾大学出版会)

 4月の静岡旅行で富士宮市の富士山世界遺産センターを訪れたとき、富士山の文化的側面に関する多くの展示があったにもかかわらず、時間がなくてそれらをしっかりと見ることができなかったことから手に取ったのが本書である。日本に滞在して膨大な資料を収集分析した著者の研究に基づいて、表象としての富士山、信仰の対象としての富士山という2軸で富士山の文化がまとめられている。特に、富士山に対する信仰の歴史が詳述されている上に、現在も続く富士講の富士登拝に同行したレポートや、信者へのインタビューは非常に興味深い。また、第2次世界大戦時に日米双方のプロパガンダとして富士山が利用されたことも描かれており、このあたりは外国人研究者らしい記述が見られる。

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熊野詣 三山信仰と文化(五来重著, 講談社学術文庫)

 熊野三社は今でこそ神道的な印象を与える。実際、私が小学生のころ初めて熊野速玉大社に行ったときに感じた印象はいかにも大きな神社という感じであり、教諭のうちにはそこで結婚式を挙げた人もいた。仏よりも神のおわす場というイメージだったし、ケガレを持ち込んではならない場所という印象があった。しかし、古来熊野は「死者の国」であったという。熊野信仰の起こりは死者の慰霊に関する民衆の古代信仰に求めることができ、補陀落渡海なる捨身行も烏のモチーフも、死者を弔う風習から生まれてきたという。本書は、仏教民俗学を専門とする著者の民俗学的調査やフィールドワークを土台にして、熊野信仰のルーツ、そして変遷を描き出す。明治期の神仏分離・廃仏毀釈より前、そこには極めて複雑ながらも切実な信仰のすがたがあったのだ。私は熊野にほど近いところで育ってきたし熊野三山すべてに一応行ったことがあるが、本書のページを捲るたびあまりにも深い物語があることを知り、記された歴史を熊野の心象風景に重ね合わせては感動を覚えた。

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イザベラ・バードの旅(宮本常一著, 講談社学術文庫)

 明治が始まってすぐに日本を旅したイギリス人女性、イザベラ・バードが記した旅行記「日本奥地紀行」は名著として知られる。原著の題「Unbeaten tracks in Japan」からも知られる通り、彼女が辿った横浜から蝦夷地への道筋は日本人にとっても一般的でないルートであった。その道中でバードは、とりたてて歴史として記述されることはない、明治初期の民衆の何気ない生活を目の当たりにし、記述した。本書は、フィールドワークに生きた民俗学の巨人・宮本常一氏が「日本奥地紀行」を引用しつつ、バードの記述に散りばめられた民衆の生活の姿をありありと再生する。私は大学2回のときだったか、本書の単行本版を大学図書館で戯れにこの本を借りたことがある。バードと宮本、時代を異にして日本を歩き回ったふたりの旅路が交差するさまに感銘を受け、読みふけってしまったのを覚えている。民俗学への興味が再燃傾向にあったこの夏、もう一度読みたくなって本書を購入したのである。

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日本の天気 その多様性とメカニズム(小倉義光著, 東京大学出版会)

 昨年2022年に100年の生涯を終えた著者は日本を代表する気象学の偉人であり、著作「一般気象学(東京大学出版会)」は気象学を学ぶ上で多くの人がまず最初に手に取る本であった。本書は一般気象学の知識をある程度前提としたうえで、日本付近で起きる気象現象を、総観規模の低気圧から竜巻に至る様々なスケールのそれぞれについて、豊富な具体的事例の解析を交えて説明する。気象庁から供給される気象情報というのは天気図だけでもかなりの種類があるが、本書の例を読むと目の付け所がわかってくる気がする。特に、第6章で導入される渦位の考え方を用いて以後の章で気象現象の実例を解き明かしているところには、現代的な気象学のエッセンスが込められている。また、「一般気象学」と同様に本書でも数式の使用は最低限に抑えられているが、ところどころに流体力学的に深みのある記述があり、気象学者であるとともに偉大な流体力学者でもあった著者の息遣いを感じられる。

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西行の風景(桑子敏雄著, NHKブックス)

 前述の「富士山 信仰と表象の文化史」で語られたことに、不尽の情念を表象する歌枕としての富士山ということがあった。平安や鎌倉期において、京の歌人は遠く離れた歌枕を心に描いて歌にするのが普通であったが、その時代にして実際に京から富士の存在する空間に赴き、歌を詠んだのが西行であったという。本書では、旅する歌人・西行が心に描き歌に込めた空間と身体と仏教の思想が明らかにされる。花も月も、虚空を彩っては跡形もなく消えていく。心もまた虚空であり、あはれと思う風情もまたすぐに消える。虚空の一箇所に配置された自分のもとに去来する彩りを、日本語というローカルな言語で歌に留めることは西行にとって仏像を作るのと同等の修行であり、歌は真言であった。富士で詠んだ歌「風になびくふじのけぶりの空に消えて行くへも知らぬわが思ひかな」もその思想を確かに表明している。近代では、執着を捨て去るべき仏道に在りながら数寄への執着を捨てられない自己矛盾の歌人と西行を評価する向きがあるが、著者は近代風のこの評価を否定する。この文脈で語られることの多い名歌「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」も、虚空に風景が生起する様を描き、密教思想に基づく西行の「空間の思想」を歌っているのだ。西行の思想は、晩年となって2つの自歌合を伊勢神宮に奉納するという事業に壮大なクライマックスを迎える。旅をしながら「空間の思想」を和歌により高めていった西行のドラマチックな生涯が凝縮された本であった。