M8.0の痕跡を訪ねて根尾谷へ 岐阜県本巣市

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 私が小学生のころ、社会の資料集には明治以降に起こったM7.0以上の大地震の震央を日本地図にプロットした図が載っていた。そこでは、M7.0以上M8.0未満の地震の震央が小さい○印で、M8.0以上の地震の震央が大きな○印で記されていた。地震という自然現象に恐れを抱きながらも底知れない興味を寄せていた当時の私が、社会の資料集で最も読み込んだページであった。

 昭和の南海地震(1946年, Mj8.0)や、日本海中部地震(1983年, Mj7.7)、兵庫県南部地震(1995年, Mj7.3)など、当時の自分が知っていた地震もいくつかあったが、その中で一番気になったのが岐阜と福井と石川にまたがるあたりにあった大きな○印であった。こんな内陸でマグニチュード8とは? それが自分が濃尾地震を初めて知った機会であった。

 濃尾地震は、1891年(明治24年)10月28日午前6時半ごろに起きた。烈震が岐阜県美濃地方、愛知県尾張地方をはじめとする東海地方・近畿地方各地を襲い、建物の倒壊や火災などによって死者7237人の人的被害を出した[1]。さらに、1887年に開業して間もない東海道本線の長良川橋梁(現・岐阜市/瑞穂市)が崩壊するなど、近代化を急ぐ地域の構造物にも大きな被害を与えた。この地震のマグニチュードはM8.0と推定されており、この値は、日本の内陸で起こった地震として、現在までの観測史上で最大の値である。

 この濃尾地震は梅原断層、根尾谷断層、温見断層などから成る断層帯が一斉に動いたことによって発生した[1]が、これらのうち根尾谷断層の一部は地表に著しい変位を残した。本巣市根尾水鳥にはこの断層が保存されており、それを見に行くのがこの旅のひとつの目標である。

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