富士山を見に行く 静岡県富士市・富士宮市 #1

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 この旅行の話をするにあたっては、まずは私がどれだけ西日本にへばりついて生きているのかを強調しておかなければならない。和歌山県で高校まで過ごしたあと、京都にある大学に進学し、さらに大学院に進んで現在に至る。日本列島には地質学的に東西を分ける糸魚川-静岡構造線というものがあるが、それを西日本/東日本の境界として採用すると、私が東日本に行ったのはこれまでの人生で3回しかない。関東地方をバスで訪れた小学校の修学旅行、大学受験の滑り止めを受けに行った東京、大学3回生の夏休みに行った東北旅行の3回である。

 そのようなわけで、東海道新幹線にも往復で一度しか乗ったことがない。しかし、大学入学以後近畿地方を中心として、狭い範囲ながらも多様な地域を来訪してきた。未知の町を歩く経験を重ねたこの期間は、遠い昔から続くこの国の旅の文化に触れ、古い旅人が歩んだ道に思いを馳せるという方向に私を向かわせた。とりわけ、東海道、そしてそれが貫く静岡県という地域への興味が醸成されていったのである。まして静岡県は、富士山・伊豆半島・駿河湾が一堂に会する地球科学の聖地とも言える場所であった。今回の旅も、富士山と、本州への伊豆半島の衝突というテーマを中心とした日程を立てた。

 人生で2回目の東海道新幹線は格別の感傷をもたらした。蒲郡のみかん畑、浜名湖、天竜川、大井川、掛川の茶畑などと、あらゆる風景の「本物」が超高速で車窓に現れては消える。憧れてきた風景が現出するのを取り逃さぬよう丹念に網膜に焼き付けようとする。旅のもつ滋味が限りなく濃縮された2時間半の車窓であった。正直なところ、私は新幹線など、高速で2点を繋ぐだけで、その道中には一切の注意も敬意も払わない、経済的効率だけのためにあるつまらない乗り物だと思い込んでいた。まさか、6年ぶりに乗った東海道新幹線に鉄道旅行の愉しみを思い出すことになろうとは思わなかった。

 列車が富士川河口に差し掛かると、ついに富士山が見える。この時点ではその円錐形の側面が積雲で隠れ、その上に頭を出す白嶺がなんとか目で見える。新富士駅のホームに降りても、新富士駅前のバス停に並んでいるときも、山を取り巻く気象は変わらなかった。我々の頭上はきれいに晴れているから、やはり独立峰のまわりは雲が湧きやすいようだ。私は2泊3日の日程で静岡県の東部に滞在する。その間に一度でも雲が晴れてあらわになった富士山の全体像を目にすることができるだろうか。

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