富士山を見に行く 静岡県富士市・富士宮市 #2

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 新富士駅発のバスは乗客の8割を外国人観光客が占めていた。彼らの多くは大きなリュックサックを背負っていて軽装だった。4月なので富士山の登山道は閉鎖されているし、そもそも登れる気候ではないと思われるが、登らないとしても日本のシンボルである富士山をできるだけ近くから眺めたいという外国人観光客は多いようだ。家族連れもいれば一人旅の者もいた。バスは富士市を北上し富士宮市に入るが、富士宮駅ではさらに私の隣の席にもフランス人らしき観光客が座った。

 外国人観光客たちの眼差しには純粋な好奇心や感動が満ち溢れているように感じられた。新富士駅から眺めた富士山には少し雲がかかっていたが、バスが進むにつれて、我々は富士山の南側から南西側に回り込む形となり、徐々に雲を纏わぬ富士山が姿を現し始める。白糸の滝に向かう道中で車窓の右手にはっきりと山の姿が見えたとき、彼らは必死にその姿を目で追い、窓際の客は写真を撮った。

 おそらく彼らは初めて富士山を見たのであろう。それは私もほとんど変わらないことであった。こうして、目的として富士山と対峙しようというのはまさに人生で初めてである。西日本にへばりついて生きてきた、富士山への馴染みが薄い日本人の私と、日本を象徴する風景が現前することに感嘆の眼差しを贈る外国人観光客たち、その間に大した差異はないように思えた。日頃京都で多くの外国人観光客を見かけ、その数の多さから生じる混雑に辟易すること(そしてそれは登山期の富士山でも共通する現象であるはず)もあるのだが、このときばかりは彼らと同じ視点に立ち、彼らの目に共鳴し、なんとなく連帯を感じたのだ。

 富士宮市上井出というところの、白糸の滝入口のバス停で降りた。私に続いて女性の外国人観光客も2人ほど降りた。山梨県の富士山駅まで向かうバスが去ったとき、そこに現れたのはもはや何物にも遮られない、完璧な富士山の山体であった。もうこの時点で、この旅の目的は半分以上満たされたと言ってもよい。

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