丹後の生活史伝える ふるさとミュージアム丹後探訪 京都府宮津市 #1

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 前日の午後に出発して福知山で一泊し、朝8時の列車で宮津に向かった。この頃は丹波の秋の深まりも極相に達して、福知山と宮津を結ぶ京都丹後鉄道宮福線の沿線にある集落の数々も、早朝は霧が濃い。由良川の堤防は白くぼやけて、水面から湯気が立ちこめるようだ。晩秋のこのあたりは曇りが多いが今日はよく晴れるという。この丹波霧が空に消えれば、山里の秋色が照り映えることだろう。

 しかし大江から長いトンネルを越えて盆地から海に開けた宮津の平野部に出ると、すでによく晴れていた。この時期の丹波や丹後の山沿いの集落には、しばしば寺院などに大きなイチョウの木があり、それが淡い陽光の中でも黄金のように濃く輝いているのがとても美しい。

 

 宮津駅に着いて、すぐ近くの漁港まで散歩したあと、府中方面へのバスに乗った。このバスは伊根町まで走るバスで、それだけに途中の道の駅のバス停からは外国人観光客もたくさん乗ってきた。普通のローカル路線バスにこれだけ外国人観光客が乗っているのは少し異様な感じすらして困惑するが、伊根は現在とても人気がある。彼らはモニターに映し出されるバス停の名前に含まれる漢字の意味を調べては教え合ったりしていて楽しそうであった。

 文殊と傘松の中間にある、阿蘇海に面した溝尻というところで降りた。この付近から天橋立の北側に続く一帯の地域は府中という地域であり、古代丹後国の中心的な地域であったようだ。溝尻の集落には今でも舟屋があり、人々は家から直接船を出して海に出ていく。集落のゆるやかに湾曲した道を歩いていると、海岸線に沿って建ち並ぶ家々のあいだに一軒分ほど空いたスペースがあった。そこから海を見ていると、ちょうど一艘の小型船が内海らしい穏やかな阿蘇海を一直線に突っ切って近くの舟屋に帰ってきた。この集落には舟屋以外の建築にも独特の風土がみられ、民家の屋根の隅の瓦に桃をかたどる装飾があったのが気になった。溝尻の集落の東端に出ると、海を隔てて真一文字に横たわる天橋立を眺めることができた。

 軒下で干し柿を作る家族がいた。集落の西側に戻ると海のそばに田んぼもあり、近くにワイナリーがあるのでぶどう畑もある。田んぼの二番穂が黄色くなり、晩秋といえまだ穏やかで心地よい風が山から滑り降りてその一株一株を撫でる。丹後はこれから寒い冬を迎える。その直前の今こそが、丹後の山海の豊穣さが風景のなかに最も表出する時期かもしれない。

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