情熱はある日の煤煙のように 京都府与謝野町 #1

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 丹後国分寺跡から国道に降りたところの丹海バス国分停留所は、石垣の上に生えた檸檬の木の下にあり、向こうの乗り場には落っこちた果実がいくらか転がっていた。傘松公園の下から来て与謝に向かうバスは、ここに来るために乗った伊根行きのバスとは対照的にがらがらで、私ひとりだけを拾っていった。

 与謝野町の岩滝より南西に広がる加悦谷へとバスは向かっていく。この奥の与謝峠を越えて福知山方面に至る道は古代山陰道の支道であった。近世よりのちに丹後地方で織物の生産が盛んになると、機織りの音を鳴らす家々が建ち並び、この道は栄えたという。また、加悦谷は歌人与謝野鉄幹の父・礼厳が生まれた地でもあり、礼厳は与謝郡に因んで与謝野姓を名乗るようになった。与謝野鉄幹・晶子夫妻も与謝郡を旅して歌を残した[1]。バスの道は三河内あたりから道が狭くなってきて、2車線あるといえども家々を縫うような道だ。かつての面影を残す道の作りを車内から眺めていた。

 降車した加悦庁舎前のバス停から少し歩くと、加悦鉄道の廃線跡を利用した自転車道があり、その東側には田園が広がる。ここも稲株が色づいて美しい。向こうで盆地を縁取る雄大な山並みは大江山の山系である。大江山は京都丹後鉄道の宮福線から見ると近すぎてその形がよくわからない。だがここからは、なんとも郷愁を掻き立てるようななだらかで美しい稜線を持つことがわかる。日帰りのときも含めれば丹後に来るのも5度目くらいだと思うが、ここに初めて大江山が数々の詩歌に詠まれる理由を悟り得た。

 街道筋のほうに歩くと、角の家から機織りの音が聞こえてくる。いまもこの旧加悦町地域はちりめん織物の生産地である。日本遺産に認定されている観光地でもあるが、どういうわけか祝日でも人や車があまりいなくて、機織りの音が小気味よく響いては、街路の突き当りの向こうに消えていく。

 お昼に入った食堂では店主の方に薦められて刺身と焼きいかの定食を頂いた。店主は加悦から毎週2回か3回、宮津市の養老漁港や伊根町の新井漁港などに車を走らせ、直接魚を買い付けてくるのだという。店主の方は、この辺りはあまりお店がないから、見つけてくれてよかったと言っていた。私はもともと生魚があまり好きではないこともあって、丹後で生の魚を食べたのはこれが初めてだったが、ここで食べたカンパチとヤガラの刺身は新鮮でとてもおいしかった。

 食後に、加悦庁舎の前にある加悦鉄道資料館に向かった。

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