西美濃サイクルツーリズム 岐阜県池田町・揖斐川町 #3

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 谷汲へとつながるトンネルの前に急坂があって堪えた。このあたりはさっきよりも山の斜面の勾配が緩いため、大きく茶畑が広がっていて、かまぼこ状に生えた茶の樹の列が無数に整列しているのが一望できる。トンネルに入る前に、歩道に上がって、走ってきた道を一瞥した。結構高いところに来ているらしい。陽は少し傾いてきている。雲の薄い箇所から光線が差し込んで、池田の街を、茶畑の緑を照らし出す。

 1kmちょっとの東ノ山トンネルは自転車通行可能の歩道が付いていて助かったが、それでもサイクリング中の長いトンネルは、通行する車の音をどうしようもなく増幅し、孤独や不安と向き合う時間を押し付けてくる。たまに潰れた缶などが落ちているので、そういったものを踏まないように慎重に走る。小声で歌など歌って気を紛らわしながら、次の街・谷汲を心に描いた。やっとこさ外に出ると、長い下りが続く。途中には小規模な牛舎などがあった。米菓工場が見えれば、そこは古来より多くの巡礼者が旅の終結地に据えた谷汲なのである。

 谷汲山華厳寺への参道は北へと延びる上り坂であり、左右に食事処、土産物屋、旅館などが建ち並んでいて、俄然巡礼地としての雰囲気が漂ってくる。その最奥にある山門をくぐれば、「奉納三十三度石」と刻まれた石碑が道の中央に現れる。西国三十三箇所巡礼は中世より現在に続く、極楽浄土を信じる巡礼者たちの旅だ。一番札所・那智山青岸渡寺から近畿地方の各地にある札所をまわって、ここ谷汲山華厳寺に結ばれる。札所のなかには京から遠く離れた場所も含まれ、その旅は基本的に長いものとなる。

 その本堂の柱には鯉の模型が貼り付けられている。結願の地に辿り着いた巡礼者たちは、この鯉に触れて精進落としを行い、俗世に帰っていったという。こうしたものを見ていると、巡礼の旅のスケールの大きさに思いを馳せてしまうが、正直に申すと私は華厳寺をじっくりと見て回ることができなかった。ここは濃尾平野の西縁部の山がちな地域であり、日が傾くと暗くなるのが早い。華厳寺にある3つの堂のうち、ひとつしかお参りをしなかったのである。しかしいつか、より深くここで巡礼者たちの歩みを想う日が来るだろう。

 谷汲から本巣に向けて走りだすと、すぐに谷汲駅の跡がある。かつては名鉄谷汲線が南からここまで伸びていて、谷汲参りを支えていた。いまも駅跡には当時の列車が保存されている。緑のなかに佇む名鉄カラーの赤と白は当時の面影を残しつつ目に映える。しばらく行くと道路の左手に、道路よりも数メートル高くなった盛り土の跡が現れる。ここを走っていたのだろう。車通りも少なく、在りし日の谷汲線を視界に重ね合わせながら自転車を漕いでいた。

 薄暗くなりゆく谷筋の道に、幻のヘッドライトが差し込んでくる。小気味よい線路の音とともに赤白のゴーストが後ろから現れ、頭上を追い越していく。ディーゼル駆動の車輪に負けぬように、自転車のホイールがまわりまわる。いつしか廃線跡は道路と離れ行き、静かな夕方が山々を包む。谷汲山大橋で根尾川に合流した。

 この日の旅は樽見鉄道の本巣駅までとした。まだ暑さも残るなか、自転車を運んで大変な旅でもあったが、自転車旅の楽しさを西美濃に知った。無数に流れゆく景色と言えども今も心に残りときに蘇るものがある。わずかな時間で垣間見た文化が、地域への憧れに昇華したものもある。いずれこういった旅をまたやりたいと思っている。

(終)